08.2021.12

現代史における漢方傷科膏薬の進化:40 歳からの健康ケア

皆様、こんにちは!健康な毎日を過ごすための漢方知識をお届けする [貴社名] です。年齢を重ねるにつれて、身体のあちこちに痛みを感じやすくなったと感じていませんか?今回は、そんな皆様の身体の悩みに寄り添う「漢方傷科膏薬(かんぽうしょうかこうやく)」の歴史と、その効果についてご紹介します。専門的でありながらも分かりやすく、親しみやすい言葉でお伝えしますので、ぜひ最後までお読みください。

漢方傷科膏薬とは?そのルーツと台湾への伝来

漢方医学には、手技による「推拿(すいな)」と、外用薬である「膏薬(こうやく)」を用いた伝統的な治療法があります。これらの起源は、古代中国の漢民族の文化と深く結びついています。

17 世紀、清朝時代に漢民族が台湾へ移住した際、漢方医学と推拿、そして膏薬の知識もともに台湾に伝えられ、この地で根を下ろしました。当時の膏薬は、経験則に基づき、薬草をすり潰して補助剤と混ぜ合わせることで作られ、患部に直接貼って使用されていました。

日本統治時代と「国術館」の役割

日本統治時代、推拿の技術は台湾の民間で脈々と受け継がれていました。当時の「国術館(こくじゅつかん)」は、武術を教えるだけでなく、人々の捻挫や打撲、脱臼、骨折の整復、そして膏薬の貼付を行い、生計を立てていました。これらの施術の多くは、師から弟子へと代々受け継がれてきたもので、国術館で作られる膏薬の技術もまた、先祖代々の伝承でした。この時代には、「国術館膏薬(こくじゅつかんこうやく)」や「黒薬膏(くすりこう)」「黒膏(くろこう)」「吊膏(つりこう)」といった名称が一般の人々に知られるようになりました。

しかし、初期の国術館における丸薬や散剤、膏薬、丹薬の製造方法や、骨折の整復・リハビリテーションの手法は、科学的な実証に乏しく、また各流派が独立していたため、交流がほとんどありませんでした。そのため、膏薬の品質にばらつきがあったり、整復・リハビリテーションの手法も様々で、時にはトラブルが発生することもあったようです。

法整備と現代漢方への発展

台湾では、1950 年に各県市で「中医師公会(ちゅういしこうかい)」が次々と設立され、同年には中医師の特別試験も実施されるなど、漢方医学の法整備が進みました。そして 1961 年には、専門家や学者、地方の名士、漢方医の有志が協力して「中国推拿学会(ちゅうごくすいなだがくかい)」が設立されました。これにより、一般的に「推拿放筋路(すいなファンジンルー)」(筋や関節を整える推拿)と呼ばれる施術が徐々に広まっていきました。

現代における漢方傷科治療の考え方

漢方傷科治療は、経絡(けいらく)気血循環(きけつじゅんかん)、**陰陽五行(いんようごぎょう)**といった伝統医学の理論に基づいています。軟部組織の損傷に対しては、筋を整えるための様々な手技が用いられます。これには、「推法(すいほう)」「拿法(だほう)」「按法(あんほう)」「摩法(まほう)」「捏法(ねつほう)」「揉法(じゅうほう)」「揺法(ようほう)」「引法(いんほう)」「重法(じゅうほう)」という九つの主要な手技があります。これらの治療手技の後には、治療効果を高めたり持続させたりするために、膏薬が貼付されることがあります。

現在、台湾の衛生福利部(日本の厚生労働省に相当)は、推拿技術を「中醫傷科推拿(ちゅういしょうかすいな)」と「民俗調理(みんぞくちょうり)」の二つに分類しています。中醫傷科推拿は医療行為であり、その作用は筋骨関節に深く働きかけます。一方、民俗調理マッサージは筋肉や軟部組織へのマッサージであり、筋骨関節には関与せず、手技の実施や定型的なサービス内容に重点を置き、主に養生保健のために用いられます。

さらに、政府が GMP(医薬品製造管理および品質管理に関する基準)を導入し、漢方膏薬の生産過程にも適用したことで、傷科膏薬の品質は飛躍的に向上し、製品の均一性も改善されました。このように、これまでの歴史と各界の努力、そして政府の取り組みにより、伝統的な傷科推拿と民俗調理は正しい方向へと進み、新たな一歩を踏み出しています。


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